日本一長い
手掘り
中山隧道
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中山隧道保存会
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山古志と隧道
二十村郷の集落は、山に囲まれ、冬になると数メートルの雪が降り積もり交通の障害となり、頻繁に発生するなだれは人々の命までも奪う恐ろしいものでした。
明治時代以降、このような交通事情を克服するため、道路を整備しようとする意識が高まり、昭和に入って、道路整備の一環として峠道を隧道によって克服することが試みられるようになります。これらの隧道は村人たち自分たちの手で、カンテラの灯りをたよりに片刃のツルハシとスコップで掘り進められました。このような大工事を村人の手によって成し遂げられたのは、棚田の横井戸を掘る技術と、雪から自分たちや子どもたちを守るという気持ちがあったからなのです。
山古志にいくつかある手掘りの隧道のなかでも、中山隧道は、村人が足掛け16年の歳月をかけて長く大きなトンネルを掘り貫いたということで広く知られています。
中山隧道は、山古志の小松倉地区と魚沼市水沢地区(旧広神村)を結ぶ長さ877mの手掘りのトンネルです。1932(昭和7)年に計画が立ち上がり、途中戦争による中断を経て、1949(昭和24)年5月に貫通しました。カンテラの灯りをたよりに片刃のツルハシとスコップで掘り進める手作業で、農閑期などを利用して作業は根気よく続けられました。
当初、充分な照明設備がなかったため、暗闇の中で手に持った傘の先を壁面にあてて間隔を保ちながら進むというような状況もあったそうです。それでも、雪の中の峠越えに比べてはるかに安全でした。
1998(平成10)年に新中山トンネルが開通したことによって、手掘りの中山隧道はその役割を終えましたが、新潟県によって記念保存が決定され、現在もその姿を見ることができます。
※中山隧道は現在、安全には通り抜けはできないため、70Mまでの立ち入りを許可されています。