勇壮無比!
牛の角突き
国指定重要無形文化財
山古志を含む一帯の地域(現在の長岡市、小千谷市、魚沼市(旧広神村)のそれぞれ一部地域)は、二十村郷と呼ばれてきました。この地域で行われてきた“牛の角突き”は、長い歴史があるとされていますが、記録的資料がないため由来、起源などについては定かではありません。しかし、江戸時代の文豪、滝沢馬琴の書いた南総里見八犬伝に古代の角突きをうかがい知る場面が登場することから、数百年、あるいは千年の歴史があると伝えられています。
一説には、岩手県の南部地方から鉄器を運ぶ際に使われた牛がこの地域の暮らしに根付いたとも言われますが、山の斜面を切り開いて作られた棚田での農耕において、牛は貴重な働き手でした。そして、豪雪地であるために長期間雪に閉ざされ、牛と人は一つ屋根の下に住み、家族の様に慣れ親しんでいました。牛と密接な生活の中で、次第に角突きは人々の娯楽となって根付き、昭和53年、国の重要無形民俗文化財「牛の角突きの習俗」に指定されるまでになったのです。
習俗であるために、神事としてのしきたりも様々に定められています。角突き場で待機中の牛に不測の危害が及ばないための鼻(はな)縄(ぎ)の強度や引綱の長さ、さらに入場の際は左回りに場内を一周(または半周)する等の所作があり、牛が“面(おも)綱(づな)”をつけて入場するのも、このしきたりに由来しています。